2000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典ヨーガスートラ。
その中に、このような教えが記されています。
「知足(サントーシャ)によって無上の喜びが得られる。」
ここに登場する「知足」とは、私達がすでに足りている事を知っていきましょう、という教えです。
私達は、すでに沢山の宝物を与えられた人生を送っています。
普段当たり前のように行っている、目で綺麗な景色を見る事や大切な人と会話をする事、そして自分の足で行きたい場所へ歩いていける事。
普段当たり前のように行っている事も、それが出来ない人にすれば10億円払ってでも手に入れたい、奇跡のような宝物なのです。
ところが私達の多くは他の誰かが自分の持っていない物を持っていると、急に自分に与えられている沢山の宝物に気付けなくなってしまうのではないでしょうか?
そして目の前の世界に対し不満な気持ちが出てきてしまいます。
どんな時でも、無い物に目を向けるのではなく、与えられた物に目を向けていく事で私達はより満ち足りた人生を送る事が出来るのではないでしょうか?
ヨーガを始める以前の私は、人一倍体も硬く体の不調に苦しんでいました。
ヨガインストラクターをしている妻の勧めもありヨーガを始めたのですが、体が硬い私はレッスンで皆に付いていくのが精一杯でした。
皆のようにポーズを取る事が出来ず「何で自分の身体はこんなに硬いのだ!!」とレッスンに参加する度に悩んでいました。
私は、はやく体を変えたいと毎日練習をするのですがなかなか上達しません。
皆のように、どんなアーサナでも取れるようになりたいと気持ちは焦るばかりでした。
私は普段、靴の販売員の仕事をしています。その日はお店に来店されるお客様も
まばらで仕事中に考え事をしてしまっていました。
「どうしたら皆のように体を柔らかくする事が出来るのか?」などとクヨクヨ悩んでしまってなかなか仕事に集中出来ませんでした。
するとお母さんに車椅子を押してもらう女の子が靴を買いに来ました。
私が接客に付いたのですが、その女の子は凄く楽しそうに「今日はお母さんと一緒に映画を見てきたの」と私に話してくれました。
その女の子の無邪気な笑顔はとても子供らしく、生き生きとしていて、心の底から人生を楽しんでいるように見えました。
なぜ車椅子になってしまったのか理由は分かりませんが、自分が車椅子である事に微塵も不満を感じさせない女の子の楽しそうな笑顔に私は「ハッ!」と我に返りました。
私の半分も生きていない女の子は、自分に与えられている物にしっかり目を向けて人生を思う存分楽しんでいるのに、いったい自分は何を悩んでいるのだろうか・・・。
自分には健康な身体もあり、帰る家もある。自分の脚で歩いて好きな所へ行き大好きなヨーガも出来ている、それなのに小さな事で悩んでいる自分がそこにいました。
それからは自分に与えられている沢山の宝物に気付く事が出来ました。
それまでの悩みは消え去り心からヨーガも楽しむ事が出来るようになりました。
なにより気にも止めなかった日常生活の中で、電車から観る景色や当たり前のように過ごしていた友人や家族と過ごす時間、全てがプライスレスな出来事へと変わっていきました。
私達の多くは、与えられている最高の宝物になかなか気付く事が出来ず、いつまでも自分の持っていない物にばかり目が行ってしまいがち。
そして、この世界に対して「自分はまだ足りていない!」と不満を抱いてしまっているのではないでしょうか?
与えられた宝物を失ってしまってから気付くのではなく、普段当たり前のように過ごしている日常が奇跡の連続だという事に気付いて行く事で、私達はより満ち足りた人生を送れるのではないでしょうか。
私達の人生をより幸せにする為のヒントが知足(サントーシャ)の教えに隠されています。
より多くの人生の宝物に気付き、無常の喜びが得られますように。