その昔、インドに王様とその家臣のアシュタバクラという大臣がいました。アシュタバクラは、王様に何かを尋ねられると決まって「心配はいりません。起こることは、全て最高の出来事です。」と答えます。王様は、この言葉を聞くといつも心の安寧を得ることが出来ました。
ある日王様は怪我をしてしまいました。ですがアシュタバクラは「王様心配はいりません。起こる事は最高の出来事です。」といつものように答えました。王様は「怪我して痛い事が最高なはずはない!」と怒ってアシュタバクラを牢屋に入れてしまいました。
その数日後、王様は狩りに出かけ、山奥で原住民に捕まってしまいました。儀式の時の生贄として捕まってしまった王様。火あぶりにする直前に原住民達は王様の怪我に気づきました。「怪我をしてたら傷物で、生贄にならない!」と解放されました。そしてその時に王様は「怪我をした事は最高の出来事だったんだ...」とアシュタバクラの言っていた意味を実感しました。
急いで城に戻り、王様はアシュタバクラに謝りました。するとアシュタバクラはいつものように答えました。「牢屋に入れられていた事は最高の出来事です。もし牢屋に入らなかったら、王様と一緒に狩りに行き、私も生贄となり怪我のない私は燃やされていたでしょう。だから、牢屋に入れて頂いた事が最高の出来事です。」
私たちは自分の望んでる出来事と望んでいない出来事とを、最高・最悪と区別をつけてしまいがちですが、望まない出来事が差し出されたとしても最高の出来事と言う事に気づくことが出来たら、目の前の世界が光り輝いて見えてくるのではないでしょうか。
中学3年の時に、いじめにあい、地元の学校に転校する事になりました。新しい学校生活を想像し胸を高鳴らせて通い始めましたが、中3になると卒業目前で昔話に花を咲かせる事も多く、運動会がどうだったなど、輪に入れず淋しい思いをした事も度々ありました。学校生活で何より怖かったのが、今までが女子校だったので男の人は勿論、接した事のないジャンルの人もいたり話が上手く出来ませんでした。襟足の長い髪の人もいたり、その人の上履きには「夜露死苦!」とか地図記号のお寺のマークなどが色とりどりに書かれていました....。クラスメートとして普通に話しかけられるだけなのですが、私には、刺激が強く話しかけられないよう目を合わせないようにしていました(苦笑)
高校に入ると、輪に入れなかった中学の友達との時間が自然と重なっていき、当時流行のプリクラを撮りにいったりカラオケにいったり放課後を楽しんでいました。同世代の行く場所はみんな同じで、よく同級生に遭遇し話す機会が増えました。そして苦手かもと思っていた彼らとの時間も自然と重なっていきました。
都内で生活したりしましたが、今は地元の川崎大師に住んでいます。お寺が有名な町ですが、その当時恐怖でしかなかった同級生達は的屋さんになっている人もいて、お祭りで境内に行くと必ず「ムッチャン(私のあだ名です)!!」と大きな声で挨拶してくれます。地元で困った事があれば頼れる仲間がいるのは幸せだなと心が温かくなります。先日私の結婚式で友人にスピーチを頼んだのですが、涙を流しながら祝福してくれた彼女と出会ったのも最悪と思っていた中3の学校で出会った友人なのでした。
その当時は中3時代は最悪な学校生活と思っていました。前の学校では辛い時もありましたが、今となれば最高の友人達と出会えた最高の出来事だったなと心から思えます。苦しい最中にアシュタバクラの言葉を思い出すのは難しいかもしれませんが、知っているのと知らないのでは、世界の色が違って見えてくるかもしれません。
「心配はいらない。全て最高の出来事です。」
目の前の世界が光り輝き出す、アシュタバクラの言葉をいつでも胸に、最高の宝物が差し出されている事に気づける自分で居たいものですね^^