2000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典『バガバッド・ギーター』には、私達の人生を悔いの無い充実した毎日に変えてくれる古代賢者の様々な智慧が記されています。
「バガバッド・ギーター」は戦士アルジュナがドゥルヨーダナの策略によって奪われた自分の領土を取り戻す為、ドゥルヨーダナ率いるカウラヴァ軍に戦いを挑むストーリーです。ですが戦が始まるその時、カウラヴァ軍側の兵士に昔アルジュナが世話になった人たちが多くいる事に気が付きます。その光景を目にしたアルジュナは「世話になった彼らと戦うことは出来ない」と手に取っていた剣を手放し絶望してしまうのです...。
受け入れがたい困難な現実に直面し意気消沈しているアルジュナに対して神の化身であるクリシュナが「自己のダルマを遂行せよ」と何度も何度も説いていきます。
ダルマとは日本語に直訳すると一般的に「義務」と訳され、自分が「やるべき事」を指す言葉になります。神の化身であるクリシュナは戦士アルジュナに対して自分のやるべき事を行いなさいと説いているのです。
戦士という身分であるアルジュナのやるべき事は戦う事になるので、例え相手側に恩人がいたとしても逃げる事なく戦いなさいとクリシュナは言っているのです。
私達に与えられるダルマの多くは自分がやりたく無い事と一致していくのではないでしょうか?職場の上司から出される仕事や会議の資料作り...家にいれば掃除や洗濯、料理や洗い物など挙げていけばきりがありません。「戦いなさい」と言うのは、私達が最もやりたくない事の究極の例えとして「バガバッド・ギーター」では描かれているのです。
例えば、私は小学生の頃やらなければいけない宿題に全く手を付けず、自分がやりたい遊びばかりを優先してきました。そして大人になった今、残っているものはあの時に真面目に勉強しておけばよかったという後悔です(笑)。 私を見ても分かるように「自己のダルマの遂行」というのが後悔を残さない人生の送り方のヒントになるのではないでしょうか。
私は毎週金曜日の午前中は仕事がなく休みでした。午後から始まるレッスン前には映画を観たり買い物したりサーフィンしたりと一人の時間を心から楽しんでいました。そんな私に嬉しいお話が...金曜日の午前中にヨガの仕事の依頼が届きました。仕事内容は他県にある某刑務所内で受刑者の方にヨガを指導してほしいという内容でした。
まだ日本では前例のない刑務所内でのヨガレッスンなので厚生労働省の方から予算も組み込まれていなく講師はボランティアとしての参加です、そんな状況でしたが以前からヨガで人助けが出来ればと感じていた私にはそれでもやらせて頂きたい光栄な仕事でした。
10:30から刑務所でのヨガプログラムが始まるので10時には刑務所入りしていなければなりません。某刑務所は川崎にある私の家から遠く離れているので7時の電車には乗らなければ絶対に間に合いません。
私は今住んでいる川崎に引っ越して来る前は静岡の三保という、とても静かな港村に住んでいました。そんな田舎暮らしをしていた私は都会のラッシュアワーが大の苦手でした。
刑務所に向かう列車に乗る為、最寄り駅の川崎駅へ行くとホームは会社に出勤する数え切れないほどのサラリーマン達で大混雑していました。
私が以前住んでいた三保では絶対に見る事のない光景に怖気付きそうになりましたが、意を決して満員の電車に飛び込みました。駅員達が電車のドアからあふれる乗客を必死に押し込み私は身動きが取れませんでした。電車が揺れる度に足は踏まれ(泣)、バックで押され、手すりを握るサラリーマンたちの肘で頭をどつかれながら私は何でこうなるの⁉と心の中で思いました。「本当だったら金曜日の朝はゆっくりとお茶でも飲んでくつろいでいるのに~」「波があればサーフィンにも行っているのに~」そんな事を考えていたら、勉強することから逃げ続けていた小学生の頃の様に自分に与えられた刑務所ヨガというダルマから逃げ出したくなってしまいました。
ですが、もうこれ以上人生に悔いを残したくない私は「バガバッド・ギーター」のある章を思い出しました。
「アルジュナよ自己のダルマを遂行せよ!」この言葉を呪文の様に「ブツブツ」と何度も自分に言い聞かせ、ようやく目が覚めた私は勇気を出し自己のダルマを遂行する決心が出来ました。
数時間の間、電車に揺られ目的地である刑務所にたどり着くとその高い塀の先は未知の世界でした。過去に罪を犯した人には思えないほど素直に私の話を聞いてくれる受刑者の方達に私も真剣にヨガを伝え、これまでのヨガ人生では経験した事が無いとても貴重な時間を受刑者の方達と過ごす事が出来ました。
それからというもの、あれだけ苦手だった刑務所へと向かう満員電車にも以前の様に苦しむ事無く、心揺さぶれる事無く自ら乗り込めるようになりました。
そんな私に嬉しい出来事がありました。先日の刑務所ヨガでの時間に「先生のおかげでヨガが好きになりました。私でもヨガの先生になれますか?」と受刑者の方が声をかけてくれました。
私は「刑務所でのヨガをやってよかった!ダルマから逃げなくてよかった。」と心から感じました。そして高い塀に囲まれた刑務所の中で探し続けていた人生の宝物を見つけたような気がしました。
このようにして、私達には日々様々なダルマが与えられます。
時には思わず逃げ出してしまいたくなる様なダルマも与えられるのではないでしょうか?そんな時、私達の多くが自己のダルマから目をそらし人生に多くの悔いを残してしまいがちです。
神の化身クリシュナが説いているように、困難に思えるダルマの先にこそ私達が人生に求めている世界が広がっているはずです。
これからは困難な現実から逃げる事なく自己のダルマに全力で取り組み、私達が後悔の無い素晴らしい人生を送ることが出来ます様に。
インド・ニューデリー駅の風景